<< DURALEX ピカルディ | main | 第5回イタリア研修旅行 〜1日め〜 6月14日 >>
ポーランドと手吹きガラスと岡本太郎さん
ベリー
 ちょうど20年前の今頃、入院するか出張に行くかというの究極とも言える選択に迫られ、悩んだあげく流れにまかせてポーランド行きを決めた。放任だった両親もさすがに心配して成田まで見送ってくれたのですが、送迎デッキから私の乗る予定のアエロフロートを見つけた母は「この娘はもう無事には帰らないだろう」と涙したそう。当時ジャンボでもないおんぼろのアエロフロートはいかにもすぐ落ちそうに見えたらしい。
 母の予感も的中していきなりのトラブルにみまわれ、私が目的地ワルシャワの空港に着いたのは、日本を発って33時間後。聞き慣れないポーリッシュが飛び交う社会主義国は当時の私には宇宙人の国かと思えた。空港に待つ迎えの車は驚く程に大げさで・・当時半官半民の会社の懐は余裕だったようでリムジン3台を連ね、すぐにクロスノのガラス工場へ、6時間の旅だった。当時この工場でAfternoonTeaやオレンジハウスに出すグラスを作っていた。

 工場に着き見学の後は早速の商談。寝不足と疲れでもうろうとする私に工場長が気遣って用意して下さったのは、チョコレートと濃いコーヒーとウォッカ。え〜っと思うもののここでひるんではこの後の商談で決まるものも決まらないと覚悟を決め、ぐいぐいといただいた。
 体調が悪く服用していた鎮痛剤とウォッカが体内で合体し、もうやけくそ状態に近かった。会社側から自由にオーダーして良いと与えられていた制限額のほぼいっぱいまでオーダーし、40フィートコンテナに満載になるよう仕立て、商談成立。その後はまた飲んで食べてで、記憶も曖昧だ。
 帰国後体調は悪化し、手遅れになった卵巣は薬ではどうにもならず切除の手術を受けることになり、これにはかなりショックを受けた。
 
 でも、この私のやけくそオーダーっぷりに気を良くしたのか、その後ポーランドサイドからは商談にはMiss Ikedaをよこしてくれとリクエストいただき、その後頻繁にポーランドを訪ねることになった。
 時間に余裕がある時は、ショパンの生家を訪ねたり、古い木造建築の教会を見て回ったりと随分楽しい思いもさせていただいた。
 またその後は、日本のポーランド大使館からもいろいろなレセプションのご招待をいただき、それがご縁で岡本太郎さんとお食事をご一緒すると言う夢のような一夜も経験させていただいた。

 何事も・・嬉しいことと悲しいこと、嫌なことと良いことはセットでやってくる・・世の中つじつまが合っていると言うのが母の口癖ですが、この頃になってやっと確かにと思えるようになった。
 嫌なことがあった時などは、あの時オーダーしたミモザやラズベリー、ローズマリーの手吹きのグラスを手にすると、あの時の辛かった思い出がよみがえり、「そのうち良いこともやって来る」「あの時に比べれば今なんてたいしたことない」と思える。
 ポーランドと手吹きグラスは私にとって大切な思い出、また訪ねたいな・・・

 
| 雑貨のおはなし | 03:05 | comments(0) | - | ↑TOP -
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